フードコーディネーター取材特派員NEWS

世界へ弾け! 「平和と健康」への願いが詰まったポン菓子機(穀類膨張機)日本初のポン菓子機を作った女性 吉村利子さんに聞く!

「ポン菓子」・・・と聞けば「懐かしい~(^^♪」って思われる方も多いのではないでし
ょうか?
数十年前までは、よく公園などの広場に見慣れぬ機械と共におじちゃん(笑)がやってきて、
・・・「ば~ん!!」と大きな爆発音と 同時に甘い香りを漂わせてくれた「ポン菓子」。
 お米と砂糖とわずかなお金を握りしめ、「今度はうちの家の番や~」って、わくわくしな
がら待っては、ごみ袋いっぱ~いになった ポン菓子を抱えて帰った思い出・・・♪


全国でもお馴染みのお菓子ですが、その呼称は地域により様々なようで、「ばくだん、
どん、ぱっかん、ぽんぽん、パットライス、ぱんまめ、はちゃぐみ・・・」などと様々です。


また四国愛媛県では、結婚式の嫁入り菓子や引き出物として使われる程、ポン菓子の食文化
の強い地域も中にはあったようです。


この1粒のお米が13倍に膨らむポン菓子(膨化食品)・・を作る機械を「穀類膨張機」
言いますが、実はその機械を日本で初めて作られた方が、北九州市戸畑区にいらっしゃいます。

吉村さんその方は吉村利子(よしむら としこ)さん。 1926年(大正15年)御年89歳の女性社長。
今回は、この「穀類膨張機」を作られた吉村さんにお話を伺わせて頂きました。


吉村さんは(旧姓 橘さん)大阪八尾市ご出身で、国民学校の教師をされていました。
当時は終戦間もない頃で、18歳で教員になられた橘さんは、大正飛行場(現 八尾飛行場)そばの大正小学校で、毎日子供達と接していました。
当時は酷い食糧難で、配給されるものと言ったら、わずかな雑穀だけ・・・子供達は空腹、
消化不良、下痢、皮膚病に泣いていたそうです。
吉村さんは朝一番、新聞紙を小さく切ってくしゃくしゃにして・・・それで泣く子達のお尻を
拭いてあげていたと言われます。


小学校の校庭に間近まで接近してくるアメリカ機から逃げ、防空壕で抱きしめていた日々。
子供たちの体は、骨が折れてしまうのではないかと思うほどガリガリに痩せ、「この子達に
何とか栄養のあるものをお腹いっぱい 食べさせてやりたい・・・!!」その時から、その思い
と「平和」を願う一心だったそうです。


そんな思いで過ごされていた時、吉村さんは幼少の頃、近くの広場に来ていた機械の事を
思い出します。
それが17歳の時、「蒸気圧を利用した穀類膨張機」だと図書館の本で知ったそうです。

 あれを使えば少ない原料でもお腹も満たせてやれる・・・。
しかし、第一次世界大戦後にアメリカ、ドイツから入ってきた「穀類膨張機」は鋳物製で
約100㎏もの重さ。その為、普及していなかったのです。
そこで橘さんは、 「自分の手であの機械を作り、お腹いっぱい食べさせてやるんだ!」と
決意したのです。


それ以降、あらゆる努力をされ、工学系教員の知人に手伝って貰いながら色んな実験をし、
小型で軽量な「ポン菓子機」(穀類膨張機)の図面を起こしました。
 

橘さんが考案された『総鉄製』の小型で軽量のポン菓子機・・・これを作るには、戦時中
の当時、「鉄の街」と言われていた「福岡県八幡市(現 北九州市)」に行くしか手段はなく、
周囲の反対を押し切り、図面と多額のお金をお腹に巻いて職人探しに行かれたそうです。


そして、橘さん20歳の時「北九州市戸畑」の職人からの連絡を機に、「鉄」と共に生きる
覚悟で九州に渡られたのです。


1945年3月11日 「吉村式 穀類膨張機 第1号」が産声を上げました。
まさに「ポン菓子の食文化」が開花した瞬間でした!!




★実際に吉村式穀類膨張機を用いてポン菓子を作って頂きました★

(材料)白米・・・1升

    砂糖・・・1㎏
     水・・・230CC
     塩・・・少々

                         
213たたく瞬間ばーん


 

 

 


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1.2. 機械をあらかじめ温めておき、圧力釜へ米を洗わず投入する。
3.   栓を確実に閉め、焦げないように一定の回転数で加熱していく。
     (熱源はガス。圧力計が1MPa=10気圧まで)
4.   同時進行で、仕上げにかける為の飴を別鍋で作る。
5.6. 圧力計が1MPaを指したら、蓋を木槌で叩いて一気に中の蒸気を外に
     出す。(米に含まれる水分が膨張し、破裂音と共に13倍に膨らんで弾け飛ぶ)
7~9  膨らんだポン菓子をたらいに移し、飴状になるまで加熱したシロップ(飴)を、
     まんべんなく回しかける。
10.  しゃもじで、よく混ぜる。
11.    (これは吉村さんがご担当だそうです!(^^)!)
  
 ※発見!・・・シロップ(飴)は、甘味をつける用途の為だけではなく、湿気に
         弱いポン菓子が湿気ないようにコーテイングする意味も持っていた
         のです(*^^*)!!

 

その後、吉村さんはポン菓子機(穀類膨張機)の製造販売の会社を設立し、「ポン菓子機」
は全国各地に普及して行きました。


★「ポン菓子」により完成した「食文化」とは?

  ●「お客さんが持参した材料(米や豆や雑穀など)を、加工賃と引き換えに調理する」日本
   ならではのスタイル 

  ●「移動販売法」という方法で対面販売の為、地域における食文化や人と人との交流を活性化
    (販売員には、アジア・太平洋戦争から復員した元兵士や職を失った方々が就かれたりも
     したそうです。)        
                     
          ↓
  ★そうしてこの当時「ポン菓子」は、辛い戦争を乗り越えた多くの方を笑顔にし、人々に幸せを
   与えてくれる存在だったのです。    



その後、「ポン菓子機」は1960年をピークに、スナック菓子、チョコレートを始めとする各種菓子類の登場や、住宅事情により住宅街で膨化音を響かせる事が困難、さらに後継者不足・・・などの理由で減少していきました。

 


★近年の「ポン菓子」事情は?
にんじん
 ●大手の菓子製造業者が工場内で大型のポン菓子機を使用し袋詰めの製品を供給し
 て、販売されています。
       (にんじんの形の袋に入ったポン菓子・・など)

 ●レトロブームや健康食品ブームの流れから、「ポン菓子機」(穀類膨張機)を市
 町村や非営利事業者が購入し、イベントなどで使用される機会
 が増えたり、また「和食」が見直され、更に、地産地消、食  
 育、食文化の重要性が問われてる中で「ポン菓子」は『スロー・フード』として認   
 められ始めています。



★「ポン菓子」の優秀性
     ◉原材料である白米及び雑穀の栄養価
     ◉添加物を一切含まないという安全性
     ◉地域の活性化の可能性(イベント用では一度に100人分は出来ます!)
     ◉米消費拡大問題の打開策に有効
                    などが挙げられます。
 

●取材をさせて頂いて・・・(*’▽’)

  吉村さんは言われます。
  「お客様にこの機械を通して色々な事を教わるのですよ・・・」と。

 「ポン菓子機」の為に「鉄」の世界に飛び込み、ご自分も「鉄」のノウハウを学び、
  それが「ポン菓子機」の構造上で女性的な斬新なアイデアに繫がったり(モーターを用いたり、
  車のワイパーを使用したり・・etc)と。
  また、お客様の声やアドバイスを参考に ”常に向上心を忘れないと言う信念” をお持ちの吉村さんだった
  からこそ今の「ポン菓子機」が誕生したのではないかな・・と思うのです。

  そして、もう一つ・・・。

  吉村さんの「ポン菓子機」の隣には、いつも「他人を思う優しさ」が存在していたこと・・・(#^^#)



  現在も(株)タチバナ菓子機の社長として、ポン菓子機の納品や修理・保全の為に全国を回られ
  、アメリカまでも赴かれる吉村さん・・・。
  是非これからも、「平和と健康」の理念に基づく「ポン菓子機」を世界へ弾き続けて、多くの方
  に吉村さんの強い信念を点して頂きたいと願っております。
 
★また、待つ時間の楽しさ、
    
出来立ての香ばしさ!
    素材の甘味!・・・
 の魅力は、やはり出来立てを目の前で、見て、味わう「ポン菓子機」ならではの醍醐味
 
であり、是非この「ポン菓子」の魅力を多くの方に感じて頂ければ・・と思います。

最後になりましたが、今回、何度にも及ぶ取材に快く応じて下さった吉村利子さんに心から感謝致します。

  〈お問合わせ先〉

   (株)タチバナ菓子機

   北九州市牧山1丁目1-30

   (093)881-5587