協会員のヨコガオ

協会員のヨコガオ Vol. 48

食に関する知識を増やすことで、視野がどんどん広がっていくのを実感しました

豊崎 啓輔さん

オーク・フォレスト
代表
フードコーディネーター1級(レストランプロデュース)/協会副理事長

豊崎 啓輔さん (東京都)


担当したワイン居酒屋

Q.豊崎さんの職歴を教えてください

早い時期に転職し、その後40年間、本社が名古屋にある外食企業に従事していました。最初はファミリーレストランの店長などを経験し、その後本部スタッフに。運営する飲食店の首都圏出店に伴い、東京に赴任しました。主に、首都圏で30年以上もの間、新規出店に関わる仕事をしていました。4年前に会社を退職。6年ほど東京を離れていましたが、1年前に東京に戻ってきました。今年から協会の副理事長に選任され、現在は協会の仕事が中心となっています。
来年からは、学校講師の仕事が決まっていて、今後はフード関係の仕事を増やしていきたいと思っています。

Q.豊崎さんのお仕事内容を詳しく教えてください

外食企業に勤めていた時は、長い期間、新店の建設、改装、メンテナンスの仕事をしていました。建築家、デザイナー、施工業者などが集まり、その取りまとめをしてお店をつくります。協会の資格取得のコースにもある、レストランプロデュースそのものの仕事でした。仕事をする際は、『不易流行』で基本を大事にしながら、時代の新しさを取り入れるお店づくりを心がけていました。何もないところに快適な食空間ができ、そこにたくさんのお客様が来店し、繁盛をしている光景は、外食の楽しさを実感できる、とても楽しい仕事でした。新店だけで100件ほどのお店をつくりましたが、何回やっても飽きることはありませんでした。

手がけた和食店の内装

Q.フードコーディネーターになった経緯を教えてください

フードコーディネーター資格の存在は知っていましたが、商品関係の資格のみと思っていました。あるとき、レストランプロデュースの資格があることを知り、受験をしました。
当時は2級までしかありませんでしたが、残念なことに2回落ちてしまいました。もうあきらめようかと思いましたが、3回目の挑戦で合格。結果として現在、協会で仕事ができているのは、この苦い経験のおかげだと思っています。

Q.コロナ禍が終わり、その前後でお仕事内容に何か変化はありましたか? 仕事内容で見直した部分、工夫したなどの例がありましたらお教えください

外食企業を退職後、半年ほどでコロナが急激に広がりを見せました。最前線にいたわけではないですが、外食産業、また、それを取り巻く関係の方は本当に大変だったと思います。一般論になりますが、外食産業がバブル経済崩壊以降から抱えていた、低価格化、同質化競争、労務問題と、それに伴う生産性の低さなどの問題が、コロナ禍で顕在化しました。これを機に、これらの問題を改善し、外食の魅力、強さをパワーアップしていかなくてはいけませんね。一番は人を育てることだと思いますが、そのために、協会としてできることはないかと考えています。

Q.豊崎さんのフードについて一問一答

◆思い出の料理は?

基本的にB級グルメが多いですが、食事は相対的なものだと思っていますので、同じものを食べてもシチュエーションによって、感想は変わりますね。

 

◆お気に入りの飲食店は?

フードコーディネーターとして記憶に残っているお店、商品があります。10年以上前、渋谷にアメリカの地ビール(当時はまだ地ビールでした)の専門店ができたと聞き、出かけました。アメリカのビールといえば、バドワイザーやクワーズなど、おいしいイメージはなかったのですが、飲んでみると、そのおいしさにビックリ! アメリカでのクラフトビールの盛況を知ることになりました。その時の感動を2回目の1級試験のテーマとして書き、無事合格しました。今でもシトラスの香り高いアメリカンIPA(インディアン・ペール・エール)のビールは大好きです。

◆いま注目の食材は?

日本のビールがおいしいです。コロナの間、みなさん家飲みが増えましたが、おいしい生ビールが飲みたいという需要は強くありました。大手のビールメーカーの、主力である生ビールを、本当においしく提供するお店を見かけます。私も時々来店しますが、三度注ぎ、シャープ注ぎ、個人名を冠した注ぎ方もあります。機器を整え、技術のある人が日常では味わえないビールを提供するお店は、今後も増えていくと思います。ビールの話ばかりでしたが、お酒以外でも、家庭では再現できなかったり、外食でしか体験できないお店が増えてくると良いなと思っています。


手がけた大衆焼肉店

※記事内容および記事中の所属・肩書きは記事公開時のものです。

FCAJ 特定非営利活動法人 日本フードコーディネーター協会 Arrow