協会員のヨコガオ

協会員のヨコガオ Vol. 37

時流をキャッチし、時代を読むことでフードビジネス成功への道を歩んできました

水谷 建治さん

株式会社テイスティーズ 代表取締役
エグゼクティブフードコーディネーター/協会副理事長

水谷 建治さん (全国)

Q.水谷先生の職歴を教えてください

実家が和食店を営んでおり、子どもの頃から厨房で手伝いをしながら和食の基礎を学びました。芸術高校、芸術大学に進学し、学校に通いながら、和食店、イタリアン、カフェなどの飲食店に勤務。地元香川県の飲食企業から、新規開店のメンバーとして声をかけてもらい、大学を2年で中退。600席ある和食店の開業に携わりました。
その後、21歳で独立し、株式会社テイスティーズの代表に。ファストフード店、居酒屋、創作料理店、ラーメン店、カフェなど、さまざまな飲食店を香川県と東京都で展開しながら、レストランプロデューサー、フードコーディネーター、フードビジネスコンサルタントとして全国にクライアントを持つまでになりました。

Q.水谷先生のお仕事内容を教えてください

自社の飲食店3店舗、デリバリー専門店2店舗、通販ショップ、キッチンカーの店舗を展開しながら、顧問先である飲食店の支援を行っています。

【店舗経営】
讃岐・骨付鳥 「ぴかでり屋」
ローカルスタンド 「東京バル」
「ドリームカフェ」
讃岐地産地消宅配弁当 「極意」
「Tasty’s Deli Kitchen」
讃岐の肉匠 「極意」
瀬戸内チキン「591」

【プロデュース事業】
・THE PROSPER
・レストランプロデュース、コンサルティング
・飲食店支援店舗多数
・フードコーディネーター 
・TV CM 雑誌等のフードコーディネート
・レシピ開発、メニュー開発など
・和食店、豆腐専門店、焼肉店、牛タン店、肉バル、和バル、餃子酒場、餃子の無人販売、カフェ、イタリアン、道の駅、サービスエリア、クレープ店、グリルレストランなど

Q.フードコーディネーターになった経緯を教えてください

日本フードコーディネーター協会の3級試験が開始された初年度に資格制度を知り、翌年に受験しました。動機は、自分が日々行なっている飲食店経営やレストランプロデュース、メニュー開発のスキルがどのくらいあるのかを試したかったことと、さらなるスキルアップのためになると思い、受験し、合格しました。
その後、新たに2級が始まり、3年連続で3分野を制覇。その時に3分野を制覇していたのは全国で5人だけで、そのうち男性は私一人だったと聞いています。
そして理事になり、1級の創設に携わりました。

Q.フードコーディネーターでよかったことはどんなことですか

自身の経験だけで行なってきた飲食店経営や、プロデュース業を理論として習得することができたことが大きいですね。また、それまで独自で作成してきた企画書に深みとストーリーを付加することができました。

Q.コロナ禍において、お仕事内容に何か変化はありましたか? ご自身で仕事内容を変えた、工夫したなどの例がありましたらお教えください

飲食業に携わってきた半世紀の間に、これほどの苦難に襲われたことがなく、この3年間のコロナ禍で大変な経験をしました。コロナ前と後では、飲食業のビジネスモデルがまったく変わったと感じており、飲食店経営から、多角化戦略への転換が不可欠と考えています。どういうことかというと、飲食店が店内飲食だけではビジネスとして成立しない時代となり、テイクアウト、デリバリー、通信販売、移動販売など、飲食店の厨房を拠点に、さまざまな販売チャネルを持つことが重要であると思います。弊社はコロナの数年前から中食に注目し、テイクアウト、デリバリーをスタートさせていたため、コロナ禍では企業を中心にした高級弁当のデリバリーの売り上げに助けられました。それと並行して、通信販売と移動販売(キッチンカー)も新規で開業し、現在では飲食店営業と同等の主力事業となっています。

コロナ禍になり、飲食店が通常営業のできない中で、助けられた中食事業でありましたが、いち早く中食に参入していたことが功を奏したと感じています。これまでの私自身の事業展開の中でもそうでしたが、常に時流をキャッチし、先を見据えて業態転換していくことで、さまざまな困難を乗り越えてきた経緯があります。飲食店の店舗展開を精力的に進めていた最中に、バブルが弾け経営困難な事態になり、施行錯誤しながら立て直して数年後、東京に飲食店を開業しました。
ですが、その翌月にリーマンショックになるなど、何度も苦難を強いられてきた飲食人生です。でも、その都度の時代の読みが、次へと進むことができた要因となっています。これらの経緯については、自身の自叙伝『いつやるか 何やるか どうやるか』(Amazon)で、詳しく紹介しています。

Q.水谷先生のフードについて一問一答

◆最近作った、または食べた料理で記憶に残ったものは?

◆思い出の料理は?

◆お気に入りの飲食店は?

上記3つに共通する内容として、30年前に行った熊谷喜八さんの店KIHACHI(東京・青山)です。自社で創作料理店を始めるために、店舗視察に行ったのですが、最初に出てきた前菜盛り合わせがすごかったのです。料理内容は無国籍料理9種でしたが、初めて喜八さんの料理を食べて、あまりのおいしさに感動して涙が出ました。スペシャリティーの「オマール海老のキハチ特製スパイス焼き」は、喜八さん代名詞となる料理。国籍を超えたスパイスの使い方と調理法が、私自身の料理に対する考え方を広げてくれた一品でした。それまでは創作料理店というものがほとんどなく、無国籍料理の第一人者である喜八さんのお店に行くことが夢であった私は、この体験が、さまざまな飲食店のプロデュースに影響を与えることとなりました。

◆勝負メシは?

香川県人としてはやはりソウルフードの「讃岐うどん」です。香川では離乳食でうどんを食べさせることから始まり、日常的に昼飯はうどん、親戚が集まれば出てくるのはうどん。学校の給食もうどん、高校の食堂はセルフうどん。おそらく最後の晩餐も、うどんが理想というほど確実に勝負メシは讃岐うどんです。

◆いま注目の食材は?

ここ数年間、餃子の需要が高まっており、弊社でも全国のご当地餃子のレシピ開発を行なっています。その関係で、日々手作り餃子に関わっています。餃子はコロナ禍になって自宅での需要が高まっていて、その地域の特産品や調味料を使ったオリジナルの餃子が注目されています。野菜たっぷりのヘルシーな餃子から、ニンニクたっぷりの餃子、ご当地の銘柄豚の餃子、鶏餃子、海鮮餃子とさまざまありますが、包んで焼く料理は素材の鮮度と味付けのバランスが重要で、日々餃子のレシピ開発を楽しみながら行なっています。

※記事内容および記事中の所属・肩書きは記事公開時のものです。

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